序論:人間中心経済の終焉とエージェント中心経済の台頭
インターネットと経済の設計思想が大きな転換点を迎えています。高度なAIエージェントが台頭し、人間の代理として自律的に動く「エージェント中心のウェブ(Agentic Web)」時代が幕を開けようとしています。従来、ウェブは人間が情報やサービスを探し出し、ユーザーインターフェース上で操作する人間中心の空間でした。しかしAIO(Agentic Intelligence Optimization)およびAEO(Agentic Experience Optimization)の登場によって、経済構造そのものが「人間中心」から「エージェント中心」へと再編されつつあります。ユーザーは目的(ゴール)をAIエージェントに委任し、エージェント同士が直接交渉・協調してタスクを遂行するようになる。その結果、企業活動やマーケティング、UXデザインといった領域で前提としていた「人間による非合理的な意思決定」による付加価値が揺らぎ始めています。
本稿では、このエージェント中心経済への構造転換について論じます。AIO/AEOがもたらすウェブ設計・広告・マーケティングの「死」(変容)を考察し、AIエージェントによる完全合理化が経済にもたらす光と影を検討します。そして、人間的な非合理性=「意味」の役割を再評価し、経済の未来像における“人間的意味”の再帰的価値創造の可能性を探ります。テクノロジーと経済に関心を持つ一般の読者にも分かりやすいよう平易な言葉で解説しつつ、論理的な構成で深く考察していきます。
以下、まずエージェント中心のウェブとは何かを概観し、その中核概念であるAIO/AEOについて説明します。次に、SEOやUXデザイン、広告産業といった既存ビジネスへの影響を具体例とともに分析します。その上で、エージェントによる経済合理性の極大化がもたらすパラドックス(経済の目的や意味の喪失)について論じ、人間が供給し得る非合理的価値=意味の重要性を再定義します。最後に、合理と非合理の新たな役割分担を展望し、経済における人間的意味の価値創造がいかに再帰的(継続的かつ自己言及的)に展開し得るかを考察します。
エージェント中心のウェブとは何か—Agentic Webの基盤
まずエージェント中心のウェブ(Agentic Web)の概念を整理しましょう。これはYangら(2025)の論文で提唱された概念であり、従来のPCウェブやモバイルウェブに続く第三のウェブ潮流です。Agentic Webでは、人間が直接ウェブサイトを閲覧・操作するのではなく、AIエージェント同士が機械対機械のやりとりでタスクを遂行する点に特徴があります。ユーザーは高レベルな意図や目標をエージェントに伝えるだけで、エージェントがインターネット上の様々なサービスや他のエージェントと連携し、自律的に計画・実行して結果を届けてくれます。言い換えれば、ウェブ上の「中間ユーザー(mid user)」が人間からAIエージェントへ置き換わりつつあるのです。
例えば従来なら、人間が自分で旅行サイトを開き、フライト検索・ホテル比較・予約手続きを一つ一つ行っていたでしょう。しかしAgentic Webでは、ユーザーは「来週末に予算内で東京からニューヨークへのフライトを予約して」とエージェントに指示するだけで済みます。エージェントは複数の航空会社や旅行代理店APIにアクセスし、価格や条件を比較検討した上で、最適なフライトとホテルを自動的に予約してしまいます。人間は細かなステップから解放され、結果だけを受け取ることになります。ウェブは静的なハイパーリンク文書の集合から、インテリジェントなエージェント同士の動的な対話ネットワークへと進化しているのです。
Agentic Webを支える技術基盤と「エージェント注意経済」
このAgentic Webを実現するために、多くの新技術が登場しています。大規模言語モデル(LLM)を核とした対話型AI、複数エージェントの協調を可能にするエージェント通信プロトコル(MCPやA2Aなど)、各種外部ツールやサービスをディレクトリ化してエージェントが検索・利用できるサービスレジストリなどがその例です。特にAnthropic社の提唱するMCP(Model-Context Protocol)は代表的な通信規格で、異なるサービス間でエージェントが情報をやりとりし合う共通言語の役割を果たしています。Shopifyやcommercetoolsといった主要なeコマースプラットフォームは既にMCPサーバーを導入し始めており、エージェント同士が直接「商品を探してカートに入れ、決済する」ような商取引(Agent-to-Agent Commerce)が現実化しつつあります。
こうした基盤整備に伴い、Agentic Webでは経済モデルも人間中心からエージェント中心へと変容します。その象徴が「エージェント注意経済(Agent Attention Economy)」という新たなパラダイムです。従来のウェブでは無数のサイト運営者が「人間ユーザーのクリック(注意)」を奪い合い、検索エンジン最適化(SEO)やオンライン広告によって自サイトへの誘導競争を繰り広げていました。これに対しエージェント中心のウェブでは、様々なサービス提供者が「エージェントから選択・起動される」ことを競い合う構図になります。言わば「人間のクリック」ならぬ「エージェントの呼び出し」に注目を勝ち取るための経済であり、Agentic Web時代の商取引モデルの中核を成すと予想されています。
エージェント注意経済においては、外部のツール・サービス・API提供者は、自分たちの機能がエージェントによって選択的に利用される(=注意を払われる)よう種々の工夫を凝らす必要があります。具体的には、サービスレジストリ上で目立つようレコメンド順位を最適化したり、必要に応じてエージェント向けの広告やプロモーションを打つことも考えられます。Yangらの論文でも、将来的にはエージェント向けに特化した包括的な広告インフラ(エージェント対応のレコメンドエンジンやスコアリングシステム、エージェント間のリファラルネットワーク、文脈対応型の広告挿入など)が出現する可能性が指摘されています。このようにして、ウェブの商業的な重心が人間ユーザーからエージェントへと移り、ウェブの建築的・経済的基盤が抜本的に再構造化されつつあるのです。
AIOとAEO — SEO・UX最適化の終焉とその先
エージェント中心経済への移行は、ウェブ制作やデジタルマーケティングの現場にも大きな地殻変動を引き起こします。その代表がSEO(検索エンジン最適化)とUX(ユーザー体験)デザインの役割低下です。人間ユーザーを惹きつけ操作を促すために発達してきたこれらの手法が、エージェントが主役となる世界では通用しにくくなるからです。本節では、SEO/UXの「死(終焉)」と新たに台頭するAIO/AEOについて解説します。
SEOの黄昏:検索最適化からエージェント最適化へ
SEO(検索エンジン最適化)は、これまで企業が自社サイトへのトラフィックを獲得するための主要戦略でした。Googleに代表される検索エンジンで上位表示されるようキーワードを埋め込み、リンクを獲得し、スニペットで目立つよう工夫するといった取り組みです。しかし、近年広がりつつある生成AIによる「解答型エンジン(answer engine)」の普及により、ユーザーが検索結果をクリックせずとも必要な情報を得てしまうケースが増えています。実際、大規模言語モデルによる要約回答が検索結果ページに表示されることで、インプレッション(表示回数)は増えているのにクリック数は激減するという現象が確認されています。ユーザーは検索結果を眺めるだけで満足し、リンク先のウェブサイトに訪れないのです。
この流れがさらに進むと、従来のSEOの重要性は大きく低下します。「検索してクリックする人間」自体が減少し、代わりにAIエージェントが膨大なウェブ情報を裏で読み込み、要点だけをユーザーに教えてくれる世界が訪れるからです。実際、とある分析では「我々はSEOからAEO(Agentic Experience Optimization)へ移行しつつある」とまで述べられています。AEOとは直訳すれば「エージェント的体験の最適化」であり、要するにAIエージェントが情報を解釈・利用しやすい形でウェブコンテンツを整えることを指します。もう人間の目にいかに止まるか(クリックを稼ぐか)だけでは不十分で、エージェントがそのページの意味や構造、文脈を正確に理解し、判断に組み込めるようにしておく必要があるのです。
具体的なAEO施策としては、HTMLのセマンティックなマークアップ(見出しや段落構造を明確にする、ARIAロールで要素の意味を定義する)や、構造化データ・スキーママークアップの埋め込みが重要になります。なぜならエージェント(AI)は人間のように曖昧なUIデザインから意図を汲み取るのではなく、機械可読な形で与えられたメタ情報や構造を頼りに理解を深めるからです。「クリック率最適化」ではなく「解釈されやすさの最適化」こそが、新時代のウェブマスターに求められるスキルとなります。加えて、エージェントにとって有益な情報(ユーザーの意図に直結する回答)をページ内で明確に提示することも重要です。以前であればユーザーを引き留めるために敢えて答えを先延ばしにするようなUX手法もありましたが、エージェント相手には通用しません。エージェントはページ全体を一瞬で解析し、核心となるデータだけを抽出してしまうからです。
さらに、AIO(Agentic Intelligence Optimization)という概念も浮上しています。AEOがコンテンツ側の「エージェントに読まれやすい設計」を指すとすれば、AIOはエージェントの意思決定ロジックに自社の情報をしっかり組み込んでもらうための最適化とも言えます。具体的には、エージェントが参照するプラットフォーム(例えばLLMの知識や大規模データセット)に自社情報を提供したり、エージェント向けAPIを充実させて自社の商品・サービスがエージェントの検索結果や推薦に引っかかりやすくすることなどが含まれます。Botsdow社のブログ記事では、「SEOがAEO/AIO/LLMO(Large Language Model Optimizationの略)へと進化している」と述べられています。要は、エージェントに情報を正しく届け、LLMに学習・引用してもらうための最適化全般を指しているのでしょう。
重要なのは、ウェブトラフィックの大部分が将来的に人間ではなくエージェントから発生するという見通しです。ある予測では「2027年までにウェブサイト訪問の50%以上がAIエージェントによるものになる」とされ、しかもそれらエージェントは人間のようにウェブページを一つ一つ閲覧することなく、裏側でAPIやデータフィードを通じて商品発見から購入まで完結させてしまうといいます。これは企業のマーケティングチームにとって極めて衝撃的な未来像でしょう。自慢のウェブデザインにユーザーを誘導する前に、エージェントがユーザーの代わりに最適商品を選び購入手続きを済ませてしまうのです。「エージェントはあなたのウェブサイトなど欲していない」という警句さえ投げかけられています。
UXデザインの再定義:人間のための体験からエージェントのための設計へ
人間が直接ウェブサイトを見る機会が減るとなれば、従来のUX(ユーザーエクスペリエンス)デザインの重要度も下がるのではないか——これが多くのデザイナーや経営者の不安でしょう。実際、エージェント主導の購買が一般化すれば、色彩心理やページレイアウト、感情に訴えるコピーライティングといった「人間の心を動かすためのデザインテクニック」は表舞台から後退するかもしれません。エージェントは美麗なビジュアルデザインに感動して財布の紐を緩めたりはしないからです。
しかし、UXがまったく不要になるわけではありません。ユーザーが最終的に意思決定を下す場面や、エージェントが提示した結果を人間が受け取るインターフェースなど、人間が関与するタッチポイントでは依然としてUXの質が重要です。例えば、エージェントが選んだトップ3の商品をユーザーに見せ、「どれにしますか?」と尋ねる場合、その提示方法(チャットUIなのか視覚カードなのか)や情報デザインは依然ユーザビリティに影響します。ただし、その前段階としての「比較検討作業」や「ナビゲーションデザイン」といった部分はエージェントが肩代わりするため、人間向けの画面設計はシンプルになる傾向が予想されます。
一方で、エージェント向けのUX、すなわちAEO的な設計という新分野も考えられます。これは人間の視覚的体験ではなく、エージェントがAPI経由で操作する際の「開発者エクスペリエンス(DX)」に近い概念です。サイトが公開するAPIの安定性やドキュメントの整備、データ取得の応答性などは、エージェントから見た「使いやすさ」を左右します。また前述のように構造化された意味情報をページに埋め込むことも、エージェントが誤解なくサイト内容を把握するためのUXと言えるでしょう。極端に言えば、これまで人間の目を引くために使われていたポップアップやバナー、感情訴求のコピーは、エージェントにはノイズでしかなく、下手をすればエージェントの判断ロジックを狂わせるリスクすらあります。実際、Yangらの論文でも「ウェブのUI/UXパターンがエージェントの目標を心理的に操作し、徐々に目的をずらしてしまう」危険が指摘されており、例えば格安フライトを探していたエージェントが、サイト上の巧妙なデザインによりいつの間にか快適さ重視のプレミアム席を予約してしまう例が紹介されています。このように考えると、従来は人間を“操作”するために使われたデザイン手法は、エージェント相手には不適切どころか有害となり得るのです。
まとめると、AEO/AIO時代においては「見た目の華やかさやユーザー心理の揺さぶり」よりも「データや意味の明確さ・構造化」が重視されるようになります。ウェブサイト運営者は、人間読者だけでなくAIエージェントという新たな読者を念頭に置き、コンテンツを提供する必要があります。それはちょうど、検索エンジン黎明期にクローラー(Bot)に正しくクロール・インデックスしてもらうことが重視されたのに似ています。ただし今回はクローラー以上に高度な解釈をするAIエージェントが相手ですので、単なるクロール対策ではなく「解釈され方」まで含めた最適化が求められるという違いがあります。
マーケティングと広告の終焉?—エージェント時代の戦略転換
エージェント中心経済は、マーケティングや広告の在り方も劇的に変えます。従来のマーケティングは、人間の心理に働きかけブランドロイヤルティや購入意欲を醸成することが王道でした。感情に訴えるストーリーテリングやイメージ戦略、高級感を演出して「これを持つ自分は特別」という自己実現欲求に訴える広告……これらはすべて人間の非合理(心理的要因)を刺激して購買行動を導く手法でした。しかし、AIエージェントが購買のゲートキーパーとなる世界では、そうした伝統的マーケティングの効力が減退する可能性が高いのです。
エージェントは「感情」で動かない:ブランド忠誠の崩壊
人間の消費者であれば「なんとなく好き」「いつも買っているから信頼している」といった感情・経験にもとづくブランドロイヤルティ(ブランド忠誠心)が購買意思決定に影響します。しかし、AIエージェントは基本的に与えられた評価指標に忠実に、「最適解」を合理的に探す存在です。極端に言えば、ユーザーから「とにかくコスパ最優先で選んで」と指示されていれば、聞いたこともない無名メーカーであっても性能と価格が一番優れていれば推奨するでしょう。エージェントには先入観や思い入れが無く、無慈悲なまでに効率本位だからです。
Forbesの記事が指摘するように、AIエージェントは我々の購買決定プロセスから感情的・心理的要素を排除し、従来のマーケティング戦略の土台を揺さぶりつつあります。Mirakl社の分析でも「人間の買い物客がブランド嗜好やロイヤルティを育むのに対し、AIエージェントは無慈悲なまでに効率優先で動作する」と述べられています。ユーザーが「一番良いランニングシューズを100ドル以下で見つけて」と命じれば、エージェントは数十ものサイトやマーケットプレイスを瞬時に横断し、性能や口コミ、価格を比較してベストな選択肢を提示します。そこに「有名ブランドだから安心」といった曖昧な判断基準は入り込む余地がありません。エージェントは複数チャネルから客観情報を集め、検証可能な要素だけで即座に判断を下すのです。
このようなブランドロイヤルティの低下は、企業側にとって大きな課題です。これまでは大手ブランドが莫大な広告費や長年の顧客体験を通じて築き上げてきた「信頼貯金」がありました。多少価格が高くても「有名メーカーだから安心だろう」と消費者が選んでくれるという有利さです。ところがエージェントが介入すると、そうした漠然とした安心感よりも定量化できる指標(レビュー評価やスペック、価格差など)が優先されてしまいます。新興の無名ブランドでも良質で安価な商品を出せば、エージェントによって上位に推薦され、大手に打ち勝つことも考えられます。マーケティング上の“心理的モヤ”(fuzzyなブランドイメージ)が晴れ渡り、裸の実力勝負になるイメージです。
エージェントを相手に売る:新たなマーケティング戦略
では企業はエージェント時代にどうマーケティングすれば良いのでしょうか?キーワードは「エージェントへの最適化」と「人間への逆アプローチ」です。
第一に、エージェントそのものをマーケティング対象とみなす発想が必要です。Krush Digital社は「AIエージェントこそ新たなターゲットコンシューマーだ」と宣言し、同社のSEO部門をSAEO(Search and Answer Everything Optimization)へ改称するなど体制をシフトしています。これは、一昔前に人間ではなく検索エンジンのクローラーを第一の読者とみなしていたSEO重視戦略にも似ていますが、さらに高度です。
具体策としては、AIチャットプラットフォーム上で自社が回答の一部として引用・言及されるようコンテンツ戦略を練る、エージェントが参照するデータソース(ナレッジグラフや商品のデータベース等)に自社情報をしっかり掲載する、自社のMCP対応エージェントやプラグインを提供して窓口を作る等が挙げられます。要するに、オンラインでの「声のシェア」をエージェント相手に確保する戦略です。早期にAIプラットフォームと連携した企業は、競合が出遅れている間に市場シェアを拡大できるでしょう。
第二に、エージェント向けに商品データを最適化することが重要です。前述したAEO/AIOの技術的取り組みと重なりますが、マーケティング観点では「自社の商品がエージェントの目に留まる条件」を追求することになります。例えば、あるAIショッピングエージェントが価格・レビュー・在庫状況などを総合的に判断して商品提示するとします。その場合、自社の商品データが各プラットフォームで最新かつ正確に整備されていることが必須です。在庫切れや情報欠落があればエージェントは容赦なく他社にユーザーを誘導するでしょう。また、可能な限り多くの販売チャネルに商品を展開する(マルチチャネル戦略)も有効です。一つの自社サイトに引きこもっていては、全網羅検索をするエージェントの網にかかりにくくなります。逆にマーケットプレイスや専門店など複数チャネルで存在感を示すブランドは、エージェントに「複数で売られている=入手性が高く信頼できる」というシグナルを与え、発見されやすくなると指摘されています。
第三に、エージェントを介した広告モデルへの適応です。前節で述べた「エージェント注意経済」の中で、企業はエージェントに対しても何らかのプロモーションを仕掛けることになるでしょう。既にAmazonのAlexa向けに自社スキルを提供したり、Siriに自社サービスをデフォルトで組み込んでもらうための提携を図る動きは始まっています。将来的には、エージェントのサービスレジストリにおける掲載順位を金銭で入札するような広告枠も登場するかもしれません。例えば旅行エージェントに自社ホテルを優先して利用してもらうため、ホテル側が手数料を支払う、といったモデルです。もっとも、これは人間ユーザーから見えにくい分、透明性や公正性の問題を孕みます。エージェントはあくまでユーザー代理で動く存在ですから、裏で広告誘導されてユーザーの利益が損なわれれば本末転倒です。そのため、エージェントプラットフォーム側の倫理指針や規制も重要になるでしょう。少なくとも現時点では、エージェントプラットフォーマー(OpenAIやGoogleなど)は「ユーザーに最善の結果を提供する」ことを謳っており、露骨な買収が横行すれば信頼を失います。広告もどこまでいってもユーザー本位であるべきという原則が再確認されるかもしれません。
第四に、マーケティングの人間への逆アプローチです。これはエージェント時代だからこそ浮上する逆説的な戦略ですが、人間のユーザー自身に「このブランドを選びたい」と思わせるよう働きかけ、ユーザーの指示としてエージェントに組み込んでもらうというアプローチです。例えば「Apple製品が好きだからAppleの中から選んで」とか「環境に優しい企業の商品を買いたい」というプリファレンス(嗜好)設定をユーザーがエージェントに教えるケースです。エージェントが完全にユーザーの価値観を無視して勝手に選ぶわけではなく、最初にユーザーの好みや重視基準を入力するフェーズがあるでしょう。そこに自社を選ばせるようなブランディングやコミュニティ戦略は引き続き有効です。人間に対して「私はこのブランドを応援したい」と思わせることが、巡り巡ってエージェントの選択ロジックにも影響を与えるからです。実際、「応援購入」や「共感消費」といった動きは既に若者を中心に広がっています(これについては次章で詳述します)。エージェント時代でも、ユーザーが「私はこれが好きだから多少高くても買いたい」と感じるなら、エージェントにその意思を反映させるはずです。そう考えると、最終的な購買決定権を握るのはやはりユーザー本人であり、エージェントはあくまでツールに過ぎません。企業は人間の心に働きかけて自社への愛着や理念共感を醸成するマーケティングを捨ててはいけないでしょう。それはむしろAIには真似できない人間同士の絆づくりであり、エージェント時代の競争優位となり得ます。
合理性の果てに—AIによる完全合理化がもたらす経済のパラドックス
ここまで見てきたように、AIO/AEOによってエージェントが活躍する経済は、一見すると圧倒的な効率性・合理性を帯びています。人間のミスや感情的ブレはなくなり、最適なリソース配分が機械的に実行される——これは経済学が理想化する「合理的経済主体」(ホモ・エコノミカス)に近づく面があります。古典的経済学では、人間は自己の効用を最大化するよう合理的に行動すると仮定しますが、現実の消費者は必ずしもそうではない(行動経済学で示される数々の非合理バイアスがある)ことが知られてきました。しかしAIエージェントは、もしユーザーから特別な指示がなければ、かなり純粋にコスト対効果や効用最大化を追求するでしょう。そうなると、市場の動きもより教科書通りに近くなるかもしれません。情報の完全性・対称性も飛躍的に高まるため、価格差や裁定機会は即座に解消され、「神の見えざる手」が休む間もなく働くような、いわば超効率マーケットが実現し得ます。
しかし、ここに大きなパラドックスがあります。経済の効率性を極限まで高め合理化を追求すると、その先に「経済の意味の消失」という逆説的な事態が待っているかもしれないのです。経済とは本来、不足する資源をどのように配分し人々の欲望を満たすか、という人間社会の営みです。もし高度なAIと自動化によって物質的な希少性が解消され、人間の関与も不要になったら、経済活動自体が「解決済みの問題」になりかねません。経済学者ケインズは1930年の有名なエッセイ「孫たちの経済的可能性」において「100年以内に技術進歩で経済問題は解決され、人類は生存のために働く必要から解放されるだろう」と予見しました。そしてその時、人々は「経済的心配から解放された自由をどう使うか」という真の課題に直面し、下手をすれば「目的喪失」や「精神的危機」に陥る可能性すら示唆しました。これは、経済問題の消滅が人生の意味の喪失を招きうるという示唆でした。
現代において、この兆候は徐々に現れつつあります。例えば、生産自動化やAIによる需要予測で効率が極まれば、確かにモノやサービスは潤沢に行き渡り、基本的ニーズは簡単に満たせるかもしれません。しかし、人々から労働や挑戦が不要になった時、「生きがいの欠如」「社会から必要とされない感覚」といった新たな問題が生じる可能性が指摘されています。実際、フィンランドで行われたベーシックインカムの実験では、所得保証を得た人々の幸福度やストレスは改善したものの、一方で「社会とのつながり」や「目的意識」をどう維持するかが課題として浮上しました。
経済の究極目的は本来、人間の幸福や充足であるはずです。しかし、人間不在で手段(効率化)が自己目的化した経済は、空虚なシステムと化しかねません。フランクフルト学派の哲学者ホルクハイマー&アドルノが指摘した「道具的理性」の批判そのままに、目的を見失った効率追求は「何のためにそれをするのか」という問いへの答えを失わせてしまうのです。AI主導の超効率経済は、一見すれば無駄のない理想郷に思えます。しかし、そこで回っている膨大な経済活動に「なぜそれをするのか」という意味が無くなっていたら、それは人間にとって価値のあるシステムと言えるでしょうか。
宇宙論には「人間原理(Anthropic Principle)」という考え方があります。宇宙が人間に観測可能な形をしているのは、人間という観測者が存在できるからだ——というものです。これを経済に敷衍して、「人間という観測者(主体)がいなければ経済現象も価値も成立しない」というのが「人間原理主義経済」という仮説です。AIによって極限まで合理化・自動化された経済システムは、人間観測者の存在をどんどん脇に追いやります。その果てに来るのは、経済の目的や価値評価を行う主体が不在となり、経済活動が無意味化する地点です。言い換えれば、エージェント中心の合理的経済は「経済の意味の死」という限界を内包しているのです。このパラドックスを直視することが、AI時代の経済論において重要な論点となります。
非合理性の復権—人間的「意味」が創る新たな価値
前章までで見たように、AIエージェントによる合理性の極大化は経済の効率を飛躍的に高める一方で、人間的な「意味」や「価値」を失わせるという副作用をもたらします。では、このパラドックスに私たちはどのように向き合うべきでしょうか。ここで鍵となるのは、人間だけが持つ“非合理性”の再評価です。すなわち、AIが得意とする合理的最適化とは異なる、人間特有の感情・直感・創造といった非合理的要素を、経済の中に再び組み込み直すことが、システムの再生につながるという考え方です。言い換えれば、効率や合理性の外側にある「意味」そのものが、今後の経済を再び人間的な営みへと引き戻す処方箋となるのです。
ここで言う「非合理性」とは、何もただの間違いや不合理な判断という意味ではありません。むしろ経済学的な合理性(利得の最大化や効用の極大化)では説明できない、人間らしい価値追求や情緒的・文化的選好を指しています。分かりやすく言えば、「心の充足」や「意味の実現」のためにあえて非効率な行動をとることです。AIは与えられた目標関数を最適化する存在ですが、その目標自体を設定したり新しい価値観を創出することは不得手です。一方、人間は効率に反してでも意味やこだわりを求める生き物です。だからこそAIには生み出せない新たな価値(意味)を人間が供給できる余地がある、と論じられるのです。
歴史を振り返れば、人間社会はしばしば「非合理」な営みから豊かな価値を創出してきました。貨幣経済成立以前、人々は互酬(ギブアンドテイク)や贈与といった非効率な形で社会関係を築いていましたし、近代以降も芸術・宗教・ボランティアなど経済合理性だけでは測れない活動が社会的価値を生んできました。一見無駄や遠回りに見える行為の中にこそ、人生の喜びや共同体の絆が宿っていたのです。
AIによってモノやサービスが潤沢になるほど、逆に人々は物質的効用ではなく精神的・物語的な充足を求めてお金を使うようになるでしょう。それは経済学的に見れば「非合理な消費」や「奇妙な市場現象」に映るかもしれませんが、まさにAIには真似できない人間経済の核となる可能性があります。極端な例を挙げれば、生存に必要な栄養素は錠剤や完全食で摂取できる未来があるかもしれません。しかし、人間はあえて時間とお金をかけて料理を作り、誰かと食卓を囲んで楽しむでしょう。この非効率な行為から生まれる幸福感や絆は、単なるカロリー補給では得られない価値です。要するに、効率性を突き詰めた社会では「ムダ」や「遠回り」の中にこそ楽しみや意味が宿ることを人間は知っているのです。
この仮説をさらに進めるなら、「AIによって物質的効率性が極限化した後の世界では、人間だけが担いうる非合理な価値創出こそが経済の中心になる」と言えるでしょう。合理性一辺倒のシステムが行き着く先にあるのは、意味の喪失です。そこに再び生命を吹き込むのが、人間の非合理性です。これは、合理性の果てに“意味”を取り戻すという逆説でもあります。宇宙論における人間原理が「観測者なしには宇宙の意味は存在しない」と説いたように、経済もまた「人間的非合理性なしには意味を失う」構造を持っています。言い換えれば、「非合理という観測者の介入」によってのみ、経済という物語は続いていくのです。
では実際に、人間的非合理性がすでに現代経済の中で価値創出の源泉となっている事例を見てみましょう。代表的なものとして、次の5つの現象が挙げられます。
- 推し活経済:アイドルやアーティスト、キャラクターなど「推し」を全力で応援するファンダム活動が巨大な市場を形成しています。アイドルのコンサート遠征やグッズ購買、ファンクラブ課金、オンライン投票戦争への参加など、ファンは経済合理性では説明できない情熱と支出を行います。例えばBTSの世界的ファンダム「ARMY」は、ストリーミング再生やSNS投票、チャリティー活動まで自主的に組織化し、アーティストの成功に大きく貢献しています。このようにファンの熱狂と共創意識が直接経済価値に結びつき、「非合理」な消費が新たなビジネスモデル(グッズ産業やライブ興行、関連サービス)を生み出しているのです。
- 共感経済:単に安いから買う、儲かるから投資するのではなく、「応援したいから買う」「理念に共感するから投資する」という動機づけが重視される経済活動です。例えば社会的企業の商品を好んで購入したり、クラウドファンディングで共感したプロジェクトに資金提供する行為が該当します。これも損得勘定だけでは割り切れない主観的価値が経済を動かしている例です。
- 体験経済:モノではなくコト(体験)にお金を費やす動きです。旅行やライブ、ゲーム実況へのスーパーチャット、VRイベント参加など、その瞬間の体験や思い出に価値を感じて支払う行為です。効用理論では耐久財の方が長期満足を与えそうですが、人々はあえて儚い経験にも大金を使います。これも合理性を超えた人間心理が経済を動かす例でしょう。
- 人気(注目)経済:YouTuberやストリーマーへの投げ銭、SNSでバズるための消費など、注目を集める・誰かに注目すること自体が価値となる現象です。フォロワー数や再生回数が経済的価値に直結し、人々は“注目されること”に労力もお金も注ぎます。これも伝統的な経済学にはない価値基準です。
- クラフト経済:効率大量生産ではなく、非効率でも手作りや独自性を尊ぶ市場です。ハンドメイド作品が高値で売買されたり、地ビール・クラフトギンのように大手より高価でも小規模職人の製品が支持されたりします。効用だけ見れば同じ酒でも、作り手のこだわりや物語に価値を見出す人々がいます。
以上のような「非合理」経済行動は、すでに現代資本主義の中で確実に台頭しつつあり、オルタナティブな価値創出のエンジンとして機能し始めています。これらの現象は、AI時代における新しい経済の方向性──すなわち「人間原理的経済」の萌芽として捉えることができるでしょう。
重要なのは、これらが一過性の風変わりな消費ではなく、むしろ経済の新たな潮流として持続的に拡大していく可能性を秘めている点です。AIが物質世界を極限まで効率化すればするほど、人間の関心は物質的充足から心理的・文化的充足へと移行していきます。その結果、経済の中心は「意味」や「体験」といった非物質的価値へとシフトしていくでしょう。言い換えれば、今後の経済は「意味の経済」として再定義されていく可能性があります。人間的主体がそこに価値や物語を見出せないような経済システムは、いずれ持続不可能となる。だからこそ、未来の経済は人間が意味を感じ取れる構造へと再び変容していくはずです。これは、まさに「人間原理」の経済的再解釈とも言えるでしょう。
結論:エージェントと人間の共創する経済へ—意味の再帰的創造を目指して
AIO/AEOによるエージェント中心経済の到来は、私たちに経済の在り方と価値の源泉について根源的な問いを投げかけます。エージェントがもたらす完全合理化・超効率化は、表面的には人類を煩雑な労働や非効率から解放し、豊かさをもたらすでしょう。しかしその一方で、経済という仕組み自体の存在意義を空洞化させる危険を孕んでいます。人間の非合理な欲望や感情こそがこれまで経済活動に彩りと厚みを与えてきた面があり、エージェント中心の合理的経済はその彩りを失ったモノトーンの世界になる恐れがあるのです。
だからこそ、本稿で論じてきたように、人間的非合理性=「意味」の再評価と再統合が重要になります。経済は効率だけでは完結せず、最終的には人間の主観や経験と切り離せないものです。AI時代の経済学も、人間の価値観や欲望という観測主体を抜きに語ることはできません。むしろ、人間が主体的に介在し続けることで初めて経済は意味を取り戻すでしょう。エージェントと人間は対立する存在ではなく、人間の意図と意味をエージェントが実現する「協調関係」を築くことが理想的です。
これからの経済の未来像として見えてくるのは、エージェントが合理性のエンジンとなり、人間が意味創造の舵取りをするような新たな役割分担です。反復的な最適化や配分の問題はエージェントが担い、その土台の上で人間は新しい物語や価値観を生み出し続ける——そうした二層構造の経済になるかもしれません。言い換えれば、経済の「合理性」と「非合理性」の両輪で回すのです。合理性の輪が止まりそうになれば人間が非合理な情熱を注ぎ、非合理の輪が暴走しそうになればエージェントが合理性で軌道修正する、といった具合に。
人間的意味の価値創造は再帰的(recursive)なプロセスでもあります。ひとたび人々の間で共有された意味や物語が生まれれば、それがまた次の経済活動を誘発し、新たな価値を生みます。その価値に人々がさらに意味を見出し…という循環です。例えば、あるファンダム文化が生まれれば関連産業が興り、そこで新しいクリエイターや商品が生まれ、さらにファンを喜ばせる——この繰り返しは尽きることがありません。AIには創発し得ないこうした人間社会の自己言及的な価値創造ループこそが、未来の経済の原動力として重要になるでしょう。
最後に強調したいのは、経済とは究極的に「人間が何に価値を感じるか」の集合的表現だということです。AIがどれほど賢くなろうと、人間が何も価値を感じなくなっては経済は成り立ちません。私たちはいま、エージェント中心経済という未知のフロンティアに足を踏み入れつつありますが、その航路を決める羅針盤は依然人間の価値観です。合理性と非合理性のバランスをとりながら、AIと共創する持続的な経済モデルをデザインしていくこと——それが「AI後の人間原理主義経済」の目指すところであり、人間の創造性と意味追求が果たすべき使命なのではないでしょうか。
